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治療院ストーリー

お知らせ

■カイロプラクターを志したきっかけ

ちょうど昭和から平成に移り変わる頃、父親が原因不明のひどい肩こりと腕のしびれに苦しんでいました。見かねた知人が世界的にも有名な先生だからと塩川満章先生を紹介してくれました。日本橋の塩川カイロプラクティックオフィスに通院するようになった父の症状はカイロプラクティックアジャストメントを重ねるごとにどんどん改善していったのです。 カイロプラクティックのすばらしい治療効果に感激した父は「カイロはすごいぞ!お前も勉強してカイロプラクターになれ」と私にカイロプラクターになることを強く薦めたのです。私も父親の快復ぶりには驚きましたし、カイロプラクティックに惹かれるものがあり、父親がお世話になった日本橋の塩川カイロプラクティックオフィスに頼み込み弟子入りさせてもらったのです。

■修行しながら猛勉強

それからは、昼間は目が回るほど忙しい治療院の雑用をこなしながら院長先生や先輩の先生方の治療をサポートして、夜はシオカワスクールオブカイロプラクティックで基礎医学からカイロプラクティックの哲学やテクニックなどを猛勉強しました。塩川先生の教えの通り、骨の形を覚えるために毎日骨模型を抱いて寝ていたほどでした。 
そんな努力の甲斐もあって無事2年間で学校を卒業できました。

 


■インターン時代にさらなる猛勉強

カイロプラクティックの学校を卒業後は塩川カイロプラクティックオフィスで臨床経験を積みながら、夜はあん摩マッサージ指圧師の専門学校でさらに3年間猛勉強して国家資格も取得しました。 一日中患者さんを治療してから学校に通うのは正直大変なことでしたが、「肩こりや腰痛、自律神経の不調などつらい症状で苦しんでいる患者さんを治してあげたい!」と使命感に燃えていたので頑張れました。
ちょうどそのころ通学途中の電車の中で高校時代の同級生と10年ぶりにバッタリ再会。彼女も看護婦になって頑張っており、意気投合。1年後には結婚しました。今では私の一番の理解者です。

■副院長時代

国家資格取得後、日本橋の塩川カイロプラクティックオフィスで副院長になり、治療の他にもカイロプラクティックの学校の講師やペインクリニックでのカイロプラクティック指導などを経験した後、かねてからの夢だった独立開業を決意しました。「うちのカイロプラクティックオフィスで修行した人間はどこで開業しても大丈夫。自信を持ってがんばりなさい」と塩川先生から激励され7年勤めた塩川カイロプラクティックオフィスを円満退職しました。

 

■横浜に開業
1997年5月に横浜みなとみらい線馬車道駅より徒歩4分、JR関内駅より徒歩7分と好立地での独立開業をはたせました。現在は皆様のお陰で脇カイロプラクティックも横浜 馬車道 みなとみらいエリアで一番のカイロプラクティックオフィスの自負と過信のもと、たくさんの方に支えられ成り立っています。来て頂いている皆様への責任として、これからも脇カイロプラクティックは質の向上とともに、いつでも気楽に来院できるフレンドリーな治療院を目指します。どうぞ末永くご愛顧よろしくお願いします。

脇カイロプラクティックオフィス

​院長 脇 淳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が好きな家族写真です。子供たちがまだ小さかったころのものです。

現在長男は大学の医療衛生学部でリハビリテーションを学び病院に勤務しています。

長女は大学の看護学部4年生で猛勉強中です。

二人とも医療の道に進んだのは少なからず私と妻の影響なのかもしれません。

医療の道は一生勉強で大変な仕事ですが、人に感謝されるやりがいのある仕事です。

二人がこの道に進んでくれたことを父としてとても嬉しく思います。  


2020年5月

 

 

院長の家族写真
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